フランソワ・ブレ/略歴

1918年 7月7日フランス ロワール地方ブロワ市に生まれ、幼少の頃からパリで育つ。
1939年 戦渦が迫る10月、美術学校の同級生アンドレ・ルビランと結婚する。
のちに4人の子供を授かる。
フランソワ・ブレ氏 〜グダルグのアトリエにて〜フランソワ・ブレ夫人 アンドレ 〜パリのレストランにて〜
1951年 勤務先の近くの村ファリコンに家族とともに住み始める。
この年バロリスのマドゥラ家で初めてピカソに出会う。
1956年 モンテカルロのテレビ局で一連の美術番組を制作し始める。
その第1弾はセザンヌ死後50年を記念したものだった。
また52年に知り合ったジャン・コクトーとともに7つのテレビ番組、その他、ピカソ、シャガール、ヴァン・ドンゲンとも共演する。
1958年 ジャン・コクトーの肖像画を描き、他の40点余りの作品とともにカンヌで個展を開く。
フランソワ・ブレ(左)、ブライエ(中央)、ピカソ(右)フランソワ・ブレ(左)、コクトー(右)〜コクトーの肖像画(フランソワ・ブレ作)の前で〜
1961年 「ジャック・ビロンを囲む10人のフランス人画家」というグループ展に参加し、ナンシー、トゥールで作品が展示される。
また、同じ年にマルセイユ美術学校の校長に任命される。
1962年 文化功労賞を受賞する。
1963年 ファリコンの家の庭をモチーフにした「庭での食事シリーズ」のうち1点がマルセイユのカンティニ美術館に収蔵される。
マルセイユで初めての個展を開く。
1964年 第二帝国時代に立てられたマルセイユ美術学校で、アトリエを題材に「アトリエシリーズ」を描く。
1965年

「葡萄の収穫」をテーマにしたシリーズを描く。
フランス文化省からプロべンス、コートダジュール州芸術評定官に任命される。

1966年 63年の題材「食事シリーズ」を再び描く。
その他オペラ歌劇用の衣装や、マルセイユの学校のモザイク画などを制作する。
1967年 「プロベンスシリーズ」を描く。
1970年 フランス政府からの招待でアメリカ全土を旅行、「人波」を描く。
レジオン・ドヌール勲章(シュぺリエ)を受賞する。
1972年 マルセイユ芸術アカデミー会員に選ばれる。
1973年 「海シリーズ」を描く。象牙海岸に旅行しアフリカの魅力に取り憑かれる。
1974年 ボルドー市美術館に80点にも及ぶ絵画群「海シリーズ」が収蔵される。
1977年 フランス・インド文化協定の一環としてフランス外務省からインドへ派遣される。
同年文芸勲章を授章する。
1979年 ガール県に新しいアトリエを開く。
マルセイユのカンティニ美術館で展覧会を開く。
1980年 「家族の肖像」として自分の家族や娘の夫、子供達の肖像を描き、マルセイユで個展を開く。
1982年 「日常シリーズ」のデッサンを大量に描く。
1983年 フランス芸術協会主催の「フランスにおける絵画20年」に出展し、金賞を受賞する。
イタリアやドイツで展示される。
1987年 毎日のように自分の朝食を「朝食シリーズ」としてデッサン、油彩、水彩に描く。
同じ年、ゴッホのアルル滞在100周年を記念して、「友人ヴァンサン」を描く。
1988年 自分の家族やマルセイユの名士の肖像を描き続け、マルセイユの現代美術地方基金(FRAC)に360点のデッサンと、24点の油彩「朝食シリーズ」が展示される。
1989年 パリのバニョレ通りにアトリエを持つ。
パリの情景を描きながら、(株)アールノワール岡田主催にて東京の銀座アートミュージアムで個展を開く。
1990年 (株)アールノワール岡田と独占契約を提携する。
モナコ小公国の芸術参事官として、モナコ王子から文化勲章を授与される。
1991年 シリーズ「絨毯シリーズ」を描く。
ロワール川の情景、ギリシャ神話のゼウスやヘラクレスを題材に描き続ける。
1993年 ブルターニュ地方の情景、「四季」、「要素(エレメント)」を描く。
マルセイユ地下鉄公団からサン・ジュスト駅の内装を依頼される。
1994年 アンティーブのピカソ美術館に34点の絵画が収蔵される。
アルルのゴッホ財団に「絵とともに過ごした61年」が展示される。
1999年 文化省より国家功労賞を受賞する。「レジオン・ドヌ−ル勲章(オフィシェ)」
2004年 10月10日 南仏にて死去。